現役アニメーターであり,アニメ教育にも命をかけているおばた先生が,日々の出来事や思いを綴ります。2012年1月以前のブログはこちら→http://ameblo.jp/obatasensei/
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2017年01月07日 (土) | 編集 |
今日は午後から、一般の人を対称にした「画力向上ゼミ」で初授業をしてきました。

いよいよ始まったという実感がビンビンありました。

学生たちが「受けて良かった」と思える授業を1年間やりきっていくことが、どれ程大変なことかは、部外者は勿論、受講生ですら想像も出来ないと思います。

学生たちのレベルに大きな差がある中で、全員が満足するように工夫して、対応して、精根込めて、ただやり抜くのみなのです。

「先生」と呼ばれることの重圧と孤独を誰ぞ知るや?

アニメーターだけをやっている人を羨ましいと思うことはしょっちゅうですが、私にとってアニメの作画と教育は二つで一つのライフワークなのです。


さてさて、今日は5時半に仕事を上がって(と言うか強引に上がって)神奈川県の大和市に向かいました。

高校時代の親しい友人たちが集まる恒例の新年会に出席する為です。

名門

「名門」と言う焼き肉屋さんで2時間談笑し、カラオケで1時間昭和の歌を熱唱して楽しい3時間を堪能してきました。

ずっと音信が途絶えていたK君と連絡が取れて、今回参加してくれたことが最大のトピックです。

年に一回とは言え、なんの利害もない青春時代の仲間の集まりは、年中行事の中でも私にとっては特に大切で楽しいひとときです。

いつも幹事をしてくれるT君には、ただただ感謝あるのみ。

恒例行事とは言え、この会もいつかは終わる時がくるでしょう、と言うか確実に終ります。

毎日通っているスタジオや学校にも、いつかは行かなくなる日が必ずきます。

毎朝の出勤時、いつも妻は玄関の外まで出て見送ってくれますが、そんな日課が終わる日もいつか必ずくるのです。

これまでにも、長年続いていたことが終わりを迎えると言うことは何度も何度も経験してきましたが、この歳になると、単なる経験の積み重ねではなく、引退とか死というステップを意識せざるを得ず、複雑な心境になります。

しかし、三世の生命観(永遠の生命)に立てば、それは小幡公春と言う仕事を終えて新たな立場で魂磨きをすることなので、決して寂しいことではないはずなのですが、頭ではなく生命レベルでそう思い切れてないせいか、一抹の寂しさは禁じ得ません。

いつかという猶予を考えず、いつ死んでもいいと言うような覚悟ある生き方が出来れば良いのですが、まだまだ私は修業が足りないようです。



※このメールは帰りの電車内にて、スマホで打ちました。



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