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現役アニメーターであり,アニメ教育にも命をかけているおばた先生が,日々の出来事や思いを綴ります。2012年1月以前のブログはこちら→http://ameblo.jp/obatasensei/
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2014年06月29日 (日) | 編集 |
「小説・秒速5センチメートル」を読みました。
同名のアニメ映画を新海誠監督が自らがノベライズしたものです。

ここで私が感想を書いても、知らない人にはさっぱり分からないでしょうから感想は書きません。

5センチ

言いたいことはただ一つ、映像表現と文章表現の違いを痛烈に感じたと言うこと。

何十回も観た作品なので文章を読んでいても否応なしに映像は浮かんでくるのですが、小説には映画になかったエピソードがいくつか出てきます。
そこで浮かんでくるイメージは、どうしても輪郭があやふやになってしまいます。

想像の翼が自分の持っている知識の範囲内でしか羽ばたけないことにまどろっこしさを感じてしまいました。
逆に映像を通して私が解釈していたこととは違う意味付けが小説の中ではなされていたことには驚きました。

文章表現に比べて映像表現は解釈の幅が当然広くなるわけですから、受け手の解釈が作者の意図と違っていてもいいとは思うのです。
映画やドラマを観る時、映像から得られたキャラクターの心情を私達はより深く掘り下げて共感したり、疑問を感じたりするものですが、小説では、その作業は、ほぼ作者に委ねられてしまいます。

映画の方では若干消化不良だった部分が小説を読んだことで明白となり、こなれてくれたことは嬉しいけれども、「何かはっきりしないもどかしさ」も実はなかなか良いものだったと言う再発見もできました。
とにもかくにも、受け手の数だけ「秒速5センチメートル」はあっていいのでしょうね。

小説の方では、映画でスルーされていた大学生時代が描かれていました。
主人公の半生を描くにはかなり重要なファクターだと思うのですが、敢えて映像化しなかった意味は理解できるような気がします。
過去の集積は必ず「今」を形作っているものだから、今を見せることで暗に過去を感じさせることは出来るものです。

例えば、知り合った人の過去を聞かなくても、この人は野山を駆けずり回ってたんだろうなぁとか、この人は塾通いして親の期待に応えようとしてたんだろうなぁとか、この人はなんでもかんでも中途半端にしてそれを回りのせいにしてきたんだろうなぁとか、分かるものです。

具体的に描かず受け手に感じさせるという手法は、まさに映像表現の得意とするところであり、だからこそ重要なファクターですら敢えてバッサリと切り落としたのではないだろうかと勝手に思っている私なのです。

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