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現役アニメーターであり,アニメ教育にも命をかけているおばた先生が,日々の出来事や思いを綴ります。2012年1月以前のブログはこちら→http://ameblo.jp/obatasensei/
2014年03月10日 (月) | 編集 |
新海誠監督の「秒速5センチメートル」はこれまでに何度も観た大好きなアニメ作品です。
最近、学生たちに鑑賞させたり、友人に奨めたりしているので、この機会に私なりの感想を書きとどめておこうと思います。

この作品を観ると先ず、言葉で紡いでいく切ないストーリー展開に心臓をわしづかみにされます。
そして、圧倒的な映像美に心を奪われます。
更には、絶妙なるカット繋ぎと散りばめられたメタファーによる神業的な演出には、ただ脱帽するしかありません。

ラストシーンに流れるテーマソングは既成の歌ですが、まさにピッタリで、こんな所にいるはずがないとわかっていながら無意識のうちに昔の人をふと目で探してしまうと言った経験のある人にはたまらない歌なのです。
心に染み入る作品なので、何度観ても感動します。

主人公の貴樹君が中学1年生時代の「桜花抄」
高校3年生時代の「コスモナウト」
社会人時代の「秒速5センチメートル」
これら三つのストーリーで構成されていて、基本的には貴樹君の主観で語られていきますが、2作目では多くの部分が花苗ちゃんという女の子の主観で語られますし、3作目では一作目に登場した明里ちゃんの主観で語られる部分もあって、それがストーリーにこくと深みをもたらせています。

ストーリーは、社会人になっても中学生時代の初恋を引きずっている男の物語・・・・と言ってしまえば身も蓋もないのですが、それがあまりにも美しい想い出なだけに、それに縛られてしまっている男の悲哀が胸に迫ります。
悲しい想い出はトラウマとなり、良い想い出は執着になってしまうことがあるものですが、執着は手離さなければ前に進むことが出来ません。
執着と愛は似て非なるものなのです。

冒頭に出てきた小学生時代の踏切が、大人になったラストシーンにも出てきます。
私自身が高校時代、毎日使っていた小田急線の踏み切りです。
遮断機の降りた踏み切りの向こうとこっちに別れた二人。
電車で分断された二人は電車が行き過ぎれば再開出来ると誰もが思います。
ところが……。
最後の最後、主人公は執着を手離して新たなスタートを切ったかのように感じられます。
明確な表現ではなく、あくまでも暗喩なのですが・・。

3作目での歌にのせたPV調のシーンは短尺のカットが非常に多く、時にサブリミナル効果かと思うほどです。
しかも、そういうカットに結構重要なメッセージが秘められていたりします。
つまり重要なメッセージが見逃されてしまうという致命的なリスクを持った作品と言えるかもしれません。
しかし、逆に言えば、観る度に新たな発見があるとも言える、魅力的な作品なのです。

ちなみに、秒速5センチメートルというのは、桜の花びらが散り落ちていくスピードだそうです。
新海監督の作品は「暗いから好きじゃない」という人もいるので、押し付けがましいことは言いたくはないのですが、おすすめ作品なので、ご鑑賞頂きたいと思っています。

秒速

そう言えば、男の恋は「名前をつけて保存」だけど、女の恋は「上書き保存」だそうで、男って悲しくも愛すべき生き物なんですね。

生きる事の意味が「学び、成長すること」であるならば、共に生きて学びあうケースもいれば、別れることで学ぶというケースもあります。
親族、恋人、夫婦、子供、友人、上司、部下、同僚、先生、生徒等々、人生には多くの出逢いがあるけれど同じ数だけ別れもあります。
その全てに、大なり小なり意味があって、何かしらの学びが秘められています。
この人と出会わなかったら全く違う道に進んでいただろうという人がいます。
たった一言が人生を変える事すらあります。
だからこそ出逢いは大切にいていこうと思う。
嫌な人との出逢いすら、「成長を促してくれる為にそのような役回りを演じてくれているのだ」と感謝できたとき、得てしてその人はフェードアウトしていく。

「秒速5センチメートル」のテーマは出逢いと別れ(喪失)です。
センチメンタリズムに酔えるという感情面だけでなく、観た人はそこに自分の人生を重ねて、深い部分の意味を探っていくという内観の機会を与えてくれる作品でもあります。

2014年03月09日 (日) | 編集 |
今日、誕生日を迎えました。

ショコタン的に言うならば、レベルが一つ上がって、レベル○○になったということですが、果たしてこの一年で自分はレベルアップしたのかどうか?
ぎっくり腰で寝込んだ事で、健康の大切さは痛感したので、少しはアップしたかもしれません。

安定とか安穏といった環境の中では成長できないということですね。
つまり、安定とか安穏を求めるような生き方は間違っているのだと思う。
成長を求めていくところには必ず苦難が降りかかってくるものだ。
それを乗り越えた所に成長があり、そのオマケとして安定や安穏が付いてくると考えたい。

更に一歩深く考えてみると、安定とか安穏と言うのは、平穏無事な環境のことではなく、何があっても富士のごとく、泰然自若としていられる自身の心のあり方だと思う。

今日は日曜日ですが、妻が誕生日のプレゼントとして買ってくれた服を着て仕事に行きました。

ふく

口うるさい時もありますが、いつも私の健康を気づかってくれる妻には心から感謝しています。

2014年03月07日 (金) | 編集 |
今夜7時から9時半過ぎまで、高校時代の友人T君と中野で飲みました。

牛もつ鍋をつつきながら、彼が去年患った大病のこととか、子供の悩みとか、映画(かぐや姫の物語、永遠の0)の批評とか、色々な話をしました。

悩みは尽きないかもしれないけれど、特攻に向かう兵士とか、死を宣告された患者、若しくはお腹の子が大きな障害を抱えていることが分かっていながら産むことを決心した親のことを思えば、全てが小さな事だね、とはいうものの、現実との闘争は逃げ場のない苦しみを伴うのも事実。

年相応の悩み、それぞれの立場故の悩みは汲めども尽きず、いかに対処するかということが今日の話題の中心でした。

いい機会なので、ブログを書きながら、私の考えをまとめてみようと思います。

そもそも苦しみと言うものは、身に降りかかった事を受け入れ(られ)ず、抗う事でわき起こってくる感情だと言うことを知れば解決法が見えてくる。

つまり、抗わず、何か自分にとって意味のある事として、先ずは無条件に100%受け入れればいい。

全てのことは必然であり、自分にとって必要なことがベストなタイミングで降りかかっているんだと思うこと(思えないという人は思ってしまうこと)。

今回の人生の課題が今という絶妙なタイミングで、来るべきものとして発動しているんだと捉えていく。

一体この出来事を通して大宇宙は自分に何を学べと言っているのだろうかと考える。

この思考の行き着く所として、一見苦難と思える出来事は、一つ上のステージに上がるチャンスなのだと気付く。

そして今、機が熟して上がるべき時が来たのだと気付く。

そこには苦しみではなく、感謝と勇気がわき起こってくる。

人生と言うものは、気付きを積み重ねることで、魂を成長、進化させるためにあるのだと、しみじみ思う。

日々、締め切りに追われ慌ただしく過ごしていますが、明後日、誕生日を迎えるにあたり、人生を深く考える機会を与えてくれた友人に感謝します。


超別件ですが、スタジオで使うカップをふなっしーカップに変えたなっしー!

ふなっしーカップ

2014年03月01日 (土) | 編集 |
仕事の忙しさが一山(というか連峰状態でしたが)を越えたので、一昨夜は早めにあがって念願の映画「永遠の0」を妻と観て来ました。

吉祥寺プラザという情緒溢れる古いタイプの映画館で、観客は我々を含めても10人未満だったように思います。
この作品は、大好きな「ALLWAYS 3丁目の夕日」の山崎監督の最新作であるし、友人からも強く勧められていたので楽しみにしていました。

号泣こそしませんでしたが、大いに感動したし、色々と考えさせられました。
特攻隊員として26才で戦士した祖父のことを孫である26才の青年が調べていくという話で、映像的には、過去と現在が交錯しながら映し出されていきます。
次第に、壮絶な祖父の半生が明らかになり、秘められていた意外な事実も明かされていくという展開。

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どんな人にもドラマがあるわけですが、生きていく以上は傍観者ではなく、名作の主人公らしく生き切っていきたいと心から思いました。

海外の人々だけでなく、日本のかなりの人たちも特攻を現代の自爆テロと同じように捉えているようです。
日本人としては特攻を自爆テロと一緒にして欲しくないとは思いますが‥‥‥それでは、自爆テロをするイスラム過激派を我々はどう思っているでしょうか?
マインドコントロールされた狂信者として嫌悪感をもって捉えている自分に気がつきました。
いいとか悪いとかは別として、自爆テロ犯にもそこに至るまでの間に様々な人生ドラマがあったはずです。
もちろん、一般市民を巻き込む犯罪は許されないことですが、彼らの心の葛藤や夢や希望や愛に視点を当てたドキュメントがあってもいいと思うし、彼らをそこまで追いつめている強国のエゴや論理も検証されるべきだと思います。
物事は一面からだけ見ていたのでは本質を見誤るものですが、そんな過ちを私たちは結構しているような気がします。

ところで、私は自分の祖父の事を全くと言っていいほど知りません。
父方も母方も私が生まれる前に亡くなっているからです。
二人の祖父は如何なる状況下に生きて、何を思い、どのような人生を歩んだのだろうか?
この映画を観たことで、祖父たちのことを「知りたい」と強く思うようになりました。