現役アニメーターであり,アニメ教育にも命をかけているおばた先生が,日々の出来事や思いを綴ります。2012年1月以前のブログはこちら→http://ameblo.jp/obatasensei/
2014年01月28日 (火) | 編集 |
私のように、17年間も現場を離れてから復帰したアニメーターというのは、なかなかいないと思うのですがどうなんでしょうか。
もしかしたらギネスものかもしれませんね(笑)。

そんな私も、復帰してから5年が経ちました。
最初は、横井庄一さんのような「恥ずかしながら帰って参りました」的な心境でしたが2年半前にはパイオニアプロダクションというスタジオも持たせていただき、かろうじてやってこれているかな、と言った感じです。

今現在、久しぶりに作画監督をやらせてもらっています。
自分が原画を描く時は、申し訳ないけれど「ちょっと似てなくても作監さんが直してくれるからいいや」という気持ちでやっていました。
ところが、いざ直す側に回って設定をよーく見たり、注意事項を確認したりすると、いかに今まで自分が適当にやっていたかが分かり反省しています。

作画監督は、作品のクオリティを保つ大切な仕事ですが、他の作品の原画やレイアウトの締め切りと丸かぶりの中でやっているので、思う存分出来ないことが心苦しいです。
しかし、制約された中で最善を尽くすのがプロフェッショナルというもの。
一所懸命にがんばります。

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2014年01月25日 (土) | 編集 |
ぎっくり腰は治ったつもりでいるのですが、腰にくすぶったような痛みがあったり、肩甲骨の内側に痛みが走ったりするので、今日、仕事の合間に職場の近くの「おかだ整骨」さんに行ってきました。

月に一回くらいのメンテナンスをお願いしたい旨を伝えたのですが、診断の結果
「メンテナンスというのは正常な人が言うことです。あなたの体は壊れているのでメンテナンスどころじゃありません。しっかり治療しなければダメです!」
と叱られてしまいました。

アンプスのK氏が通っている整骨院なので、厳しいことを言われるということは聞いていましたが、早速洗礼を受けてしまった次第。

骨盤の関節が噛み合ってない。
股関節が歪んでる。
右側が痛むのは左側の異常をかばっているからだ。
歩き方から直さなければいけない。

等々、ご指摘を受けてきました。

月に1回どころか当面は週に2回来るよう言われてしまいました。
ただでさえ忙しいのに週に2回とは、と一瞬思ってしまいましたが、ぎっくり腰で苦しんだことで健康第一と言うことは身にしみて痛感しているので、ここは覚悟を決めてなんとか通院しようと思いますぅ。

整骨院に行ったことを妻にラインで報告したら、ご褒美が待ってるよーという返事をもらいました。
帰宅したら新発売のふなっしーグミとふなっしープリッツが待っていました。
わーい


gumi.jpg

2014年01月15日 (水) | 編集 |
今朝、通勤電車がかなり動かなくなる事態に遭遇した。
最初のアナウンスでは、先の方の駅で車両点検の必要が生じた為とのこと。
その次は、前の電車で具合の悪いお客様の救護活動が生じた為とのこと。
次の放送では、「具合の悪いお客様が複数であるとの情報が入りました」とのこと。
次の放送では、なんと、救護は終わったけれども同じ電車内でSOSボタンが押されたと言うではないか。
やっと動き始めたと思ったら前の電車が詰まっている為遅々として進まず状態。
ぎっくり腰をまだ少し引きずっている為か、立ちっぱなしゆえに腰がじわじわと痛んでもきた。
感情に翻弄されるな、と自分に言い聞かす。
このような現実を引き寄せている原因が自分の中にあるとすれば、それは何なのだろうか、と考える。
今現在、複数の仕事が重なっているので、時間がないという恐れの心に囚われている自分を発見する。
そんな恐れの心が、ますます時間がなくなるという現実を引き寄せたのだろうという思いに至る。
電車の遅れという出来事は、いつの間にかネガティブな思いに囚われている自分に気付きを与える為のメッセージに違いない、と悟る。
そう気付いたとたん、目の前の人が降車のため立ったので座ることができた。
まるで「ご明答」と言われてご褒美を頂いたような気持ちになった。
中野で降りてスタジオに向かう途中、ナンバーが「・・・1」という乗用車を見たとき、宇宙が「それでよし!」というメッセージを送ってくれたんだと直感が捉えた。
宇宙は時に粋な計らいを見せてくれる。
このような現象をシンクロニシティと言う。
自分を取り巻く環境は、人も含めて全てが自分自身の思考や生き方の反映だという考え方を私は取り入れている。
だから、何か事が起こったときに、先ずは全ての責任は自分にあるという前提に立とうと決めている。

2014年01月03日 (金) | 編集 |
新年明けましておめでとうございます。

今日は1月3日、明日から仕事に行きます。

元旦には次男夫婦が二人の子供(つまり孫)を連れて年始の挨拶(というかおせちを食べ)に来てくれました。

たつき


みつき

かつて正月と言えば、私たち夫婦が子供たちを連れて実家に行ってたのですが、今度は我が家が実家として、息子たちを迎える側になってしまいました。
こうして世代が交代していくのですね(しみじみ)

息子たちが帰ったあと、ずっと前に録画していた「異人たちとの夏」という映画を観ました。山田太一の原作は読んだことがあって感動したことはよく覚えています。
映画もまた感動的でした。
42歳のシナリオラーターが、12歳の時に死に別れた両親と何故か再会し、楽しい日々を過ごすのですが、やがて別れの時が来るという不思議な物語です。
親子の愛というものを考えさせられました。

昨日、二日は妻と横浜に出かけました。

目的は二つありました。
①私が小学校2年生まで過ごした町(六角橋、中丸町)を訪問する。
②妻がかねてより行きたいと言っていた馬車道十番館という喫茶店に行く。

と言うことで、まずは白楽という駅で降りて、六角橋の商店街を経て中丸に向かいました。
六角橋の商店街は母親に手を引かれてよく行った所です。

六角橋1

3歳の時にそこで迷子になり、一人で家まで帰ったという強烈な思い出があります。

アーケード1

アーケード2

商店街のアーケードは当時の面影を色濃く残していました。

一部の人

近くに面白いお店が色々ありましたが、ほとんどがまだ営業してませんでした。

おちゃやさん


途中、おCHAやさんという喫茶店が営業していたので、玄米いそべ胡桃味噌和えを二つテイクアウトして食べながら歩きました。

私が住んでいた場所は神奈川大学のすぐお膝元だったのですが、その周辺はかなり変わってしまっていて、残念ながらどこに私の住んでいた家があったのかを確認することは出来ませんでした。

KU.jpg

しかし街の所々に片鱗を見出しては懐かしさに浸ることはできました。
缶けりをしていたこの道はこんなに狭かったのか。
「急な階段」と呼んでいた階段や、いつも見上げていた道沿いの壁は、こんなにも低かったのか。
玄関前で「りょうちゃん、遊びましょ」と叫んでいたりょうちゃんの家や学校に行く時にいつも横を通過していた雑貨屋の中丸屋さんは見当たらなくなっていました。
通っていた六角橋幼稚園はなくなっていましたが2年生まで通っていた斎藤分小学校は厳然と存在していました。

小学校1

小学校2

斎藤分小学校に向かう細い小道には思い出があります。
もうすぐ学校にたどり着くと言う時にランドセルを背負ってないことに気付き、慌てて取りに帰ったというおばかなエピソード。

とんこつラーメン


一つ目の目的を果たしたあとは白楽駅の近くでとんこつラーメンを食べ、二つ目の目的を果たすため馬車道という駅に向かいました。
喫茶店に行く前にカップヌードルミュージアムで1時間半ほど過ごしました。

ラーメンの歴史

UFOの歴史

その後、馬車道十番館を目指したのですが、スマホで探しても何故かなかなか見つかりませんでした。
何度も人に尋ねてやっと辿り着いたと思ったら真っ暗で、営業は翌日からとのこと。

十番館
真っ暗な馬車道十番館、明るいのは公衆電話とガス燈もどきの街燈

妻は「だって調べたら無休って書いてあったんだもーん」とのことでしたが、基本的に「無休」と言っても年末年始は別ということは良くあること。
「年中無休」という表現だったら年末年始もやっているんだろうけどね。

馬車道駅

仕方ないので馬車道駅から帰ることにしましたが帰りは渋谷経由にしたので、まだ妻が行ったことがなかったヒカリエでちょっと買い物をしたあと、十番館のリベンジということで、109の2階にある星乃珈琲と言う喫茶店で一息ついてから帰宅しました。

仕事をしているとアッという間に一日が終わるのに、色んな所に行くと一日がものすごく長く感じられるものです。

そして今日、三日は明日からの怒涛の日々に備えてゆっくりさせていただきました。
持ち帰った仕事を少しでもやろうかとも思いましたが、休む時は休むと決めました。

今年は、健康第一で、明るく元気に、全てのことに強気で臨む一年にしていこうと思います。

皆様、今年も一年、どうぞよろしくお願い致します。