FC2ブログ
現役アニメーターであり,アニメ教育にも命をかけているおばた先生が,日々の出来事や思いを綴ります。2012年1月以前のブログはこちら→http://ameblo.jp/obatasensei/
2013年12月17日 (火) | 編集 |
一昨日、日曜日(なのに)スタジオ入りして「名探偵コナン」のレイアウト作業に勤(いそ)しみましたが、夕方で上がり、仕事を手伝いに来てくれていた妻と吉祥寺に向かいました。
念願のアニメ映画「かぐや姫の物語」を見に行く為です。
行ったのは、吉祥寺駅から徒歩7分の吉祥寺プラザという旧タイプの映画館。
この日に行かなかったら当分行けそうもない状況だったので思い切って行ったのでした。

で、感想はと言うと、めっちゃ良かったです。

かぐや姫人形
映画館のチケット売り場にあった人形

「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーがとても気になっていました。
これについて、本編の中では暗示的、もしくは断片的に語られるのみでした。
中には消化不良で見終えた人もいたでしょうが、それがまた良かったと私は思っています。
人それぞれの解釈が出来るからです。

とは言え、パンフレットにある高畑監督の企画文の中ではそれについて具体的に触れられていました。
姫は月にいたころ、地球から帰還した女(天女)の記憶を喚起させてしまい、地上での思い出によって女を
苦しませた事が罪であるとなっています。
そしてその罰として、穢れた世界である地球へ送られ、姫はそこで苦しむ事で罪を償い、それが完結した時点で月に戻されると言うのです。

宇宙人の専門家である私が真っ先に思い浮かべたのはプレアデス星人の事でした(ドン引きしないで下さい)。
彼らは私たちより魂的に遥かに進化しており、怒りや憎しみといったマイナスの情念を克服しているので、争いのない平和な社会を構築しています。
また容姿の美醜による劣等感や優越感、嫉妬や羨望も克服しているので、みな美男美女に産まれてきます。
まさに月の世界と言うのはそのような所ではないでしょうか。
さらに魂が進化すると、肉体をまとって3次元世界で学ぶ事もなくなるので、肉体を持たない生命体として、まさに不老不死の存在として活動することになります。
そのような存在が敢えて人間として産まれて来る事があるとすれば聖人と呼ばれるような精神的な指導者としての使命を帯びてのことが多いようです。

一説によると、地球という惑星は肉体をまとい、やっかいな感情というものを通して成長するための道場の様なところだそうです。
だからこそ我々は感情の波に翻弄され、天にも昇るような喜びに満たされもすれば、悲しみに引き裂かれもします。
愛と優しさで人々を包み込む事もあれば、怒りで我を忘れる事もあります。
それらの経験を通して、愛の尊さや人の痛みを知り魂の進化を推し進めていくのです。
かぐや姫もまた、この地球上では目まぐるしく変転する感情の起伏に翻弄されながら、喜びもすれば苦しみに身悶えたりもします。

かぐや姫の声優をやった女優さんがインタビューの中でかぐや姫の罪について
「姫は育ての親の愛を当たり前の事として受けとめ、感謝の念を抱くことを忘れるという罪を犯した」
と言うようなことを語っています。
確かに姫にとっては感謝もまた課題の一つだったのでしょう。

では、地球というレベルの低い星からレベルの高い星に移行することがイコール幸せなのでしょうか。
いや、幸せは全てのレベルのステージの中に見出だせるものであり、それぞれのステージでしか味わえない貴重な体験や醍醐味があるはずです。
小学校、中学校、高校、大学(私は行ってないけど)と進学していくようなものでしょう。

私は、小学校3年生くらいまで学校で流れている音楽は6年生が演奏しているのだと思い込んでいました。
それほどまでに6年生は遠くて偉大な存在だったのですが、今、見る6年生はちっちゃな子供です。
地球というステージの上にも何段階かのレベルがあるように思います。
無学でも愛に溢れている人の方が、どんなに学歴があってもお金や地位や名誉を追い求めている人よりもレベルは上でしょう。

「かぐや姫の物語」のテーマは何でしょうか?
テーマと言うのは作り手が意図するものですが、受け手の解釈で違った捉え方がされる場合があります。
私が捉えたテーマは
「今いる所がいかなるレベルであってもそこでしか学べない事があるのだから、そこでの生(せい)を謳歌していこう」
と言うものです。

姫は、余りの辛さに「逃げたい、死にたい」と思ってしまったために、月の世界に戻される事になりました。
その後、「やはりとどまりたい」と思うのですが今や遅しで迎えが来てしまいます。
ラストシーンで、忘却の衣を纏わされてもなお、姫は遠く離れていく地球を振り返り涙します。
脳の記憶は消せても、魂の記憶までは消せなかったのでしょう。

私はこの辺りからエンディングのテーマソングが終わるまでのあいだ、説明しがたい心理状況に陥りました。
気持ちを緩ませてしまうと涙が溢れで出てしまいそうだったので、グッとこらえました。
私もまたこの地球で罪を償っているかのような同化現象が起こったようです。
事実、そうなのかもしれません。

私は罰という言葉は嫌いです。
慈愛そのものである宇宙が、その申し子である私達に制裁を与える訳がありません。
どんな苦難があっても、それは偶然でもなければ罰でもなく、未だ乗り越えていなかった課題が絶妙のタイミングで顕在化した事象であり、全ては気付きと成長のチャンスを宇宙が与えてくれているのだと捉えるべきでしょう。

「竹取物語」は日本最古の物語だそうです。
どの時代の人々も感情に翻弄され、悩み苦しみながら成長してきたことが分かります。
それでは、人類総体として成長しているのかと言うと、疑問を感じざるを得ません。
システム的には、良くなってはいても、魂の進化的には微々たる前進とい言うしかなく、月の世界の人達の境地に至るのには、あと何世紀もかかってしまうでしょう。

しかし、そんな事は考えてもどうしようもないことです。
今、ここで学ぶ必要があるからこそ、必然として今、ここにいるのだから、「今、ここ」に力を尽くして生き切れば良いだけ。
感情を克服するという事は、感情を否定する事ではなく、感情を通して気付きを得ると言うこと。
寿命が尽きてあちらの世界に行き、再び産まれて来るときには忘却の衣を纏わされるけれども、魂に積み上げたものは消える事はない。

姫の犯した罪と罰は、人間を卒業するまでの間、誰もがそれぞれに抱え続けていくものなのだ・・と私は思います。

とても素晴らしい映画を作って下さった高畑勲監督、そしてスタッフの皆様、ありがとうございました。
そのスタッフの中に何人もの教え子がいることを誇らしく思います。

罪と罰


映画を見終わったあと、百花(ももか)というお店で、私はお好み焼きとビールの中ジョッキ、妻はもんじゃ焼きとレモンサワーをいただいて帰りました。

お好み焼き

スポンサーサイト