現役アニメーターであり,アニメ教育にも命をかけているおばた先生が,日々の出来事や思いを綴ります。2012年1月以前のブログはこちら→http://ameblo.jp/obatasensei/
2012年07月29日 (日) | 編集 |
昨日は昼過ぎから大宮の学校へ行く用事があったので午前中、自宅で仕事をして自宅から大宮へ向かおうと決めていました。

ところが、いざ朝を迎えてみると、自宅で仕事をするということにものすごい抵抗感があり、結局、中野のスタジオへ行きました。

やはりスタジオに入ることでアニメーターとしてのスイッチが入るのだと、しみじみと実感。

埼玉から東京に来て、午後にはまた埼玉に行くという時間的ロスを考えてもスタジオで仕事をする方が効率的なのだ。

大宮の高校で体験入学の講師をしたあと再び湘南新宿ラインで中野のスタジオへ戻り、間髪入れず電話で次の仕事の作画打ち合わせをしたあと、土曜ゼミの授業の用意をし、ギリギリのところで授業に間に合わせました。

授業後に3人の受講生に就職指導してやっと仕事に戻れた次第。

つーか、すべてが仕事なんですけどね。

複数の学校の講師として授業を行っているだけでなく、イベントや通信添削も抱えながら、現役のアニメーターをやっていくということが、どれだけ大変なことか分かってもらおうとは思わないのですが、逆にこの刺激的な面白さもまた分かってはもらえないのだろうなぁ‥という思いが、ふとよぎりました。

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2012年07月27日 (金) | 編集 |
今日、中野の小劇場で私と妻の知人がシャンソンのチャリティーコンサートに出演するというので、妻はそれを見に中野に出て来ました。

せっかく職場の近くでやるので、私も行きたかったのですが、仕事の状況がそれを許しませんでした。

コンサート終了後、中野駅前のコーヒーロードと言う喫茶店で妻と一緒に食事をして、コンサートの様子などを聞きました。

その喫茶店は、以前から妻が入りたいと言っていたレトロなお店だったので喜んでくれました。

そのあと丸井やサンモールで買い物をしたり、路地裏を散策したりして忙中閑ありのひとときを過ごして別れ、私はスタジオに戻りました。

今日、買った物のひとつが名刺入れ。

今まで使っていた物が人に見せられないくらいボロボロになっていたので、やっと買えてハッピーです。

早く名刺交換の場が持ちたいなぁ。

2012年07月23日 (月) | 編集 |
私はアニメーターであるとともに、アニメの講師でもあります。

二つの立場を両立させるために、人知れず、かなりの努力をしているつもりです。

更には、郵送されてきた作品や通信教育の添削があり、その上、講師業に付随する体験入学的なイベントでも講師をしています。

世間的には夏休み期間に入った今、イベントが目白押しとなってきており、私の忙しさは、とうにピークを越えています。

アニメーターとしての仕事は締め切りとの戦いであり、その間隙を縫いながら授業の課題を作ったり添削をしています。

その作業を自宅に持ち帰ることはしょっちゅうです。

休みなど取れる状況には全くなく、授業やイベントがない「わずかな日」は、たまった仕事をどれだけこなしていけるか、勝負の一日となります。

今日もまたイベントかぁ…とため息が出そうになる時も正直ありますが、自分を戒めていることがあります。

参加者は大きな意欲と期待を持って駆けつけてきてくれていることを忘れてはいけないぞ、と自分に言い聞かせ、必ず満足して帰っていただくんだとの思いで参加者に向き合うのです。

無慈悲な自分が人のために生きれる自分になるための修行なんだとの思いもあります。

そのような機会が否応なく自分に与えられていることには、感謝の気持ちを持っています。

自分を犠牲にして生きようとは思いませんが、自分のためだけに生きるような人間にはなりたくありません。

自他共の幸福のために生きるということはどういうことなのか?。

自分自身がライフワークに生き切り、それを通して社会や人に奉仕していくという生き方こそがそれに適った生き方なのだと私は思っています。

今はただ目の前のことを一生懸命やりきっていくだけ。

目の前の人を大切にしていくだけ。

将来のことを考える余裕がないと言ってしまえばそれまでですが、余計なこと、特にネガティブなことを考えずに済むとも言えるので、それもまたよし‥とするか。

2012年07月21日 (土) | 編集 |
最近、夢ネタばかりですが、しつこく今回もそれでいきます。

誤って崖から岩場に転落して死んでしまうという夢を見た。

死んだ私の魂は近くの海に漂っている。

岩場の方では私の死体を人々が囲んで騒ぎになっている。

まだ死にたくなかったなぁと思いながらも、何故か穏やかな気持ちでいる。

とりあえず海から上がろうと思い浜辺の方へ泳いでいく。

あれっ、魂が泳ぐって変だなぁと思ったとたん、何かの力に押されて体(?)が海面を滑るように進んでいく。

浜に着きそうになった時、スピードを保ったまま体がフワッと浮き上がる。

飛べる!! というワクワク感と気持ちよさに、死ぬのも悪くないなと思う。

そこで目が覚めてしまい、死後世界の探求に至らなかったのが残念。

目覚めて先ず思ったことは、死んでいなくて良かったということ。

そうだ、まだ死ぬわけにはいかない。

やるべきことが、まだたくさんあるし、クリアすべき人生の課題がやっと見えてきたところなのだ。

とは言え、何が起こるか分からないのが人生だし、きっと寿命は決まっているのだと思う。

やるべきことの先送りをせず、いつ死んでもいいような生き方をしていきたい。

2012年07月13日 (金) | 編集 |
こんな夢を見た。

デパートの地下売り場で革製品の展示会をやっている。

いろいろ見ていると、定期入れや名刺入れの販売コーナーを見つける。

今使っている定期兼名刺入れがぼろぼろで、ちょうど買い替えたかったので、いいのがないか物色する。

機能的に理想のものが見つかったので値札を見てみると、通常価格8100円のところが特別価格で2000円とのこと。

レジに持っていくと、太ったおばさんが「いい買い物をしましたね。サービスしましょうね」と言い、箱を出す。

箱の中には漢方薬とパン、そしてケーキが入っている。

おばさんが私に漢方薬とパンを渡してくれようとした時、酔っぱらったようなおじさんが横からひょいとパンを取り上げてしまう。

おばさんが「お客様、それは…」と言うものの、おじさんはとっとと歩いて行きながら「ありがとうよ、そちらさんはケーキで盛り上がってくれや」と後ろ姿で言って去っていく。

私はケーキを貰うことになるが、むしろラッキーと思う。

と言う夢。

この通りじゃないにしても予知夢であるといいなと思う。

この夢の中に漢方薬が出てきていることに関連している出来事が実はあった。

昨日、妻が自転車で走っているときいつも通過する書道教室の窓から中に貼ってある「好転」という文字がたまたま目に入って、何かウキウキしたと言う話を聞いていたのだ。

物事が好転するときには得てしてネガティブに思えることが立て続けに起こると言う。

漢方で言う好転反応と言うものだ。

自分の中にないものは出てこない。

自分の中にある宿命的な課題が他人や環境を通して出てくるのだ、という考え方があり、私はそれを取り入れている。

だから、人を批難せず、不平や不満、愚痴や文句を言わず、世の為、人の為になる存在として目の前のことに淡々と真剣に取り組んでいくのだ。

そうすれば何があろうとも、きっと良くなる。

そして、良くなる為の今なのだから、すべてを受け入れ、すべてに感謝していきたい。

2012年07月09日 (月) | 編集 |
昨日も含め、この一週間に三回も妻にスタジオ入りしてもらって仕事を手伝ってもらいました。

それほど切羽つまっているわけです。

仕事の取りすぎというよりも、締め切りのタイミングの重なりすぎが原因です。

まあ、苦労はかけましたが、夫の実状を知ってもらえるいい機会でもあったし、仕事自体は面白かったと言ってもくれたので、意味はあったのかな…と。

ただし、切羽詰った状態は、いまだに続いているのであった。

2012年07月07日 (土) | 編集 |
三日ほど前に、こんな夢を見た。

いじめを受けて自殺した男の子が、鏡を通してこの世とつながりをもてるようになる。

生前、優しくしてあげていた私に「死にたくなかった」と訴えてくる。

そっち(この世)に戻りたいと、向こう側から必死に鏡に体を押し付けてくる。

押し付けた肩がニョキッとこちら側に飛び出してくる。

思わずゾーッとするが、彼の必死の行動を応援すべく、彼の体を引っ張ってやる。

すると徐々に全身がこちら側に出てきて、ついにはこの世に生還(?)する。

実は、いじめを苦に自殺した少年のニュースを知ったのは、その夢を見て目覚めた日の夜だった。

まさかその子が私の夢に出てきたわけではないだろうが、意味ありげな偶然(シンクロニシティ)である。

「死後体験」という本によると、人は死んだあとフォーカス27というレベルの領域に行き、生まれ変わりの準備をするとう。

ところが、死んだことに気がつかなかったり、この世に対する執着が強すぎるとフォーカス23~26のレベルに引っかかってしまうというのだ。

フォーカス23は個人の思いに縛られた状態で、溺死した人が延々と溺れ続けたり、投身自殺した人が高いところから何度も身を投げるのだが死ねず(本当は死んでいるのだが)何度もそれを繰り返したりといった世界。

フォーカス24~26は信念体系領域と言って、同じ執着を持った多くの人たちの思いが作る擬似世界だという。

延々と戦争をし続けていたり、盗み合いや騙し合いをつづけていたり、同じ宗教を持った人たちの共通する思いが作り出す天国であったりするらしい。

先の少年がそのような領域に引っかかることなく、速やかにフォーカス27にて今回の人生を総括し、次の人生では自殺という失敗をせず、学びと成長のための人生を送れるようになることを心から祈ります。